書けない「詩もどき」


「詩もどき」を書いてきたブログは1年以上続いている。それなりにリンクも増えブログ仲間もできた。コメントもこのジャンルにしては多い方だと思う。最初の半年は毎日のように書いていた。でも、師匠にであって少し書くことが真剣(以前もそれなりに頑張ってはいたのだよ、一生懸命に考えてさ・・・)になってきて、更新も毎日できなくなってきた。そのうち、1ヶ月に1作品ぐらいは師匠に褒めてもらえるようになってきた。ますます書くことに時間をかけるようになっていって、仕事中や帰るとき、真夜中や休日のときとよく「詩もどき」を考えるようになった。


1年たって「詩もどき」の書き方は随分変わった(成長した、と自分に都合よくとってはいるのだけど)と師匠にもいわれるようになった。それが嬉しくもあり書くことへの励みにもなったのだけど、でも読者として意識するのは師匠だけになってきた。そうなると、「詩もどき」に対して「息抜き」作品だと師匠から苦笑いされる作品も書きだしていた。でもね、「息抜き」作品といわれながらもわたしは、一生懸命考えて書いてきたつもり。短い言葉で書いてきたつもり。本当は息抜きじゃなくて・・・わたし本来の書き方に近い表現なんだと思っている。でも、それさえもちょっとは師匠を意識して書いていたのだけど・・・全然ダメだった。褒められたことがない。師匠を意識した「詩もどき」は、長い。メタファーを多くいれた書き方をしているのはかなり無理しているようにも感じる。でもそういう「詩もどき」がたまに師匠に褒められる。「詩」の定義など知らない。近代詩とか現代詩とかも知らない。有名詩人の詩集だって、そう知らないまま読んでいないまま、自分の感性を自分なりの言葉に乗せて書いてきたのだ。


今、また書けない状態に落ち込んでいる。過去に惚れこんだ人のことばかりを「詩もどき」にしてきたのだけど。今書けないでいる。言葉が浮かばない。ありふれたストレートな言葉しか浮かばない。今日みた夕暮れの情景を「詩もどき」にしてみたい欲求はあるのだけど・・・言葉が浮かばない。


このブログにアップする「詩もどき」はストレートな言葉で表現した「息抜き」作品に近いかもしれない。師匠を意識しないでいいから。そのうち、こちらでも書こう。まだ一つしか書いてないけど。ちょっと中途半端な書き方だけど。いいか。気が向くままに。ありのままに。わたしのブログなのだから。