バカにつける薬はない(泣)


一日の仕事をなんとかこなしてきた。こなす、という言葉を使うほど処理してきたわけじゃないけれど。病み上がりには少しキツイ。午後からは、体が少し浮ついたような感覚になってだるかった。少しの頭痛と少しの胃痛が夕方にはでていたけれど。今は眠いだけ。当然ながらメールはこない。ブログの記事は更新しているくせにーーっと恨み言の一つでもぶちまけたい気分に一瞬なるけど。そんな子供染みたことは言えないし、ましてやそう言えるような関係でもない。わたしの片思いが大きくなっただけなのだ。いや、世間一般から言えば、両思いなのだ。1年前から。でも、きっとわたしの方が今はたくさん気にしているから片思い、う〜ん片重いなのかな。


相手の思いを計れるわけでもないから、言葉でさぐろうとする。言葉を書いたメールで探ろうとする。でも、自分だって思いの半分も書いてないくせに、相手がどれだけのことを書いているかなんて計りようもないじゃないか。どこでわたしは計ろうとするのだ。そんなものこの世にはないのに。連絡が頻繁にあればいいのか、いつも会えたらいいのか、それで満足できるのか。いつも傍にいて相手のすることなすことを見ていれば満足なのか。相手が何を読み、何を食べ、何時に起きて何時に寝て。誰かと話してどんな気持ちでいたのか、とかありとあらゆることを把握できたら満足なのか。


なんでも知りたい欲求はあっても、そこまでしようとは思わないし出来ないこと。それはお互いに住む環境も人間関係も違うから。知らないことがあって当たり前なのだとどこかで割り切れているのだけど。知られたくないことだってあるのだから。そういうことをあえて穿り返して知ろうなんて思わない。じゃ、何を相手に求めているのだろう。もう少し、わたしに関心を持って欲しいのかな。もう少し一日のなかでわたしを想う時間を持って欲しい気がするのだな。せめて1日3通ぐらいメールをくれるとか(笑)「好きですよ」の一言を毎日メールで言ってくれるとか。あーーー。
なんちゅう乙女じみたことを考えているんだ。でも、それがまんざら嘘の気持ちでもないような。


誰かに愛されている、関心をもたれているということは大事なことなのかもしれない。わたしを知らない人ばかりの世の中で、一人ぐらいは夜になっても「何している?」と気にかけてくれる人がいるということは、心に安らぎをくれそうなのだ。孤独ではない、と。いや心の中には誰からも何からも満たされない孤独はあるのだけど、それを薄い布で覆ってくれるのが「愛されている」という実感なのだ。「愛している」よりも「愛されている」ことの方がわたしには重い。与えることよりも与えられることに憧れているわたしなのであって。本当に己だけが・・・というジコチュウなヤツなのかもしれない。


うだうだ書いていたって。ただ1通のメールで安心できる単純なオンナなのだ。昔から目の前のケーキでさっきまで泣いていたことをケロッと忘れてしまうぐらいのバカなのだ。バカにつける薬はないね(泣)